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女の子に対しては結構に奥手な幸彦は、一番身近な女性、美人で自慢の実の母に恋心が生まれた。実の母親だとしても、相手への思いやりと、素直さがあれば、母子愛は不幸な方向へは進まないだろうと、勝手に自分だけで納得したりして、憧れの気持ちを大切に育てていた…
須磨子はこの歳になってから、自分はファザーコンプレックスではないかと思う。須磨子の父親は彼女が高校二年になる少し前、桜がまだ堅い蕾みの頃亡くなった。そして最近、須磨子は時間がとれると車をとばし、早朝の海辺へいく。父親の趣味だった流木を探しに、モスグリーンのジープを飛ばしていく… 流木は、孤独で永い漂流で必要最小限の形になり、ミニマムな美しさは誇り高い。そして懐かしい哀感のような記憶を内臓している。それと亡き父のゴツゴツした骨の感覚とが、須磨子の心の中で交じり合うようになった… 夜になって海辺から帰ってきた母親に、幸彦はすぐに一緒に浜辺に行って欲しいと頼まれた。どうしても欲しい流木をみつけたが持ち上がらないと言う。ゴミ集めだとバカにしている幸彦だが、そういう趣味人は多く、まごまごしてると持っていかれると言う。日頃から憧れている母と、夜の海も悪くないかと幸彦はジープに乗った… その流木は軽そうに見えたが太い幹が砂に埋まっていて、確かに女性の手に余る。苦労して幸彦が掘り出すと、母親は眼を輝かせて喜び、なにか願いをひとつだけ叶えてあげると言った。 「ほんとだね?ママ…」 「なにが欲しい?」 「なにもいらないからママの手首を噛ませてくれヨ」… 息子は須磨子の袖をまくり上げ、ゆっくりと細い腕に歯を立てた。思わず須磨子は眼を閉じた。息子の歯が腕に喰いこんで、その痛みが須磨子の全身の骨格を軋ませた。不意に須磨子に大好きだった父親の記憶が蘇った… この感触がもしかしたら須磨子のセクシーな情動につながった。体の中の骨が、まるで甘やかな泣き声のような音を立てて軋んだ。 ふと気づくと、潮が満ちて海の様子が変わっていた。いきなりという感じで、須磨子は過ぎ去ったかけがえのない父との日々が蘇る… 何気ない、ふつうのしあわせが、泣けるほどいとおしくなる。その記憶はけっして消えることがないのだろう。息子に腕を噛まれながら、須磨子は大好きな父親に纏わりついた幼女のころ、父の足や指に歯を立てたことを思い出した。その記憶の感触が体を熱くした。もう小娘ではない。しかし今、四十歳になった須磨子の堅い体が熱くなった… 息子の幸彦から見ても、母はけっしてやわな女でなかった。利発で行動的だから、自分の想いを使える突破口にと、母の腕を強く噛み締めた。あるいは、その腕の歯型が消えるまでの間に告白しようとしたかも知れない。 そしてこの親子はひと月後、夜遅く海辺を一緒に歩いていて、その翌朝、海岸から百メートルほど路地を入った木造りの小さなホテルから一緒に出てきて、親子はジープに乗って家に帰っていった… |